小林正観さん師匠と弟子 その1

小林正観さんと師匠
の話で
2つ思い出したので
まず一つ書きますね。

昨日
『小林正観さんとダジャレ』
http://kobayasiseikansan.seesaa.net/article/302432276.html

書きましたが、
ダジャレとして
最も驚かされたものの一つでもあります。

そのダジャレは
『師匠(支障)ありません』



先に
正観さんの本で
師匠と弟子について書かれた内容を
書きます。

これが前提にないと
ダジャレの深さが
わからない部分があるので。

『神様の見方は私の味方』(本屋さんにはありません)
小林正観著 神様の見方は私の味方
購入ページ
http://ananda.ocnk.net/product/62
128ページ
悪人正機説
と言う項目で
親鸞上人についての文章があります。

津原が内容を抜粋して変えています。
>>
親鸞が
弟子を伴って長者の方の夕食などに誘われる。

長者が
『親鸞さんもスゴイがお弟子さんたちもスゴイ』
と言われた時

親鸞が
『私には弟子はいない。
この人達は全部師匠だ。』

<<

と言う内容の文章があります。

私津原なりには、
親鸞は
会う人すべてを
師匠と
捉えていた。

と考えました。

親鸞の話ですが、
小林正観と言う人も、
同じ考えを持っていて、
文章に書いたのではないかと
思っています。

私の印象では
小林正観さんは
そういう人でした。



さて
ダジャレ
『師匠(支障)ありません』

エピソード。

4泊5日の合宿。
最後の夜の
40名前後の人間の
感想、意見、質問の時間。

この後の
会話の内容も
本筋に関係ある部分を
津原が
要約させて頂きます。

あるお寺の副住職。
(住職の息子さんになります)

副住職
『正観さん。
私は正観さんと一緒の時間を過ごし、
本当にスゴイと感じました。

師匠と
読んでも良いでしょうか?』


正観さん
『師匠(支障)ありません』

爆笑がその場を
包みましたが、

私と新潟のHさん
顔を見合わせ、
強烈に驚いていました。
(この後、
Hさんと
この記事の最後の分析の内容を話しました)



強烈に驚きました。
この答えの中に
たくさんの切り口があり、
なおかつ
今まで正観さんが
言ったことと
矛盾していなかったからです。

1、支障ない
どのように呼ばれても
相手の人の呼びたいように
呼んで頂く。

相手の人が呼んでいることを
『私はそう呼ばれるような者ではない』
と拒否すること、

それが傲慢と言います。
と常々いってらっしゃいました。

2、私(小林正観)は師匠ではない
ともとれました。

弟子を持ったことは無い的な
ニュアンスにも取れました。
これも
人をコントロールすることはキライで、
自分がコントロールされることもキライです』
と言っていたことと矛盾しない。

3、師匠ではない、すべてが師匠
とも
私には取れたからです。

これが強烈なインパクトでした。

親鸞についての文章、
先ほどこのブログに
抜粋を書きました。

私はそれを読んでいました

なので、
副住職の質問、お願いに
なんと答えるか?
非常な興味を持ったのでした。

間髪入れず、
『シショウありません』

正直、
青ざめた程です。

会う人、合う出来事すべてが
師匠と
思っている
可能性

私には感じられたからです。

小林正観さんのダジャレ、
恐るべし。

小林正観さん師匠と弟子 

私なりの見解を交えた
エピソードでした。

いつもありがとうございます。

◆小林正観エピソードカテゴリーの記事◆
http://kobayasiseikansan.seesaa.net/category/8195401-1.html

『神様の見方は私の味方』(本屋さんにはありません)
小林正観著 神様の見方は私の味方
購入ページ
http://ananda.ocnk.net/product/62


http://ananda.ocnk.net/ ◆小林正観グッズ販売ページ◆
送料・手数料 無料です。